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白人神社と毘沙門嶽と源為朝

白の文字が白抜きされた、白人神社。
お正月は扉が開かれていた。
毘沙門嶽と白人神社の関係は、伝説として次のとおり伝わっている。
“保元の乱の後、讃岐国の崇徳上皇を尋ねた源為朝が、阿波国との境にある相栗峠で弓を引いたところ、うなりをたてた矢はこの毘沙門獄に当たり、はねかえって白人神社におちた。この古来弓は、現在は神社の宝物となっており、旧正月14日お的神事が今に伝えられている。”(引用:ウィキペディア)
剛弓の使い手である源為朝に関わる伝説も残る、白人神社である。
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Source: にし阿波暮らし「四国徳島散策記」
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