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義人1
つるぎ町の土釜には、この碑があって、土釜を見に行く毎に目にしている。
実際にあったことのようである。
政治を司るものは、こういう仕打ちをすることで、社会を安定させてきたのであろう。

義人2
今の世だから、ひどいことだと多くの人が思うが、当時はどうであったのだろう。
非力な者にはどうしようも無いことであったのか。

義人3
町史を読むと、土釜の見物に殿様が来たときには、精一杯の歓迎を地元の住民が行ったとというのもある。地元の時負担で。
そいう世の中にあった。
打ち首覚悟の行動ができるだろうか。

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Source: にし阿波暮らし「四国徳島散策記」

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